帰郷した時のことです。近くの本屋まで徒歩で向いました。国道ではないですが、結構なメイン道路で常に車が走っています。丁度クリスマスに近いこともあり、家の前の道は込んでいました。横断歩道を渡り、200m程歩いた先に店があるのですが、その帰りに事故は起こりました。横断歩道で信号待ちをしている時のことです。横断歩道にある、歩行者用のボタンがある電柱の脇に立ち、信号待ちをしました。歩道は1.5m程の幅だったと思います。生垣のような植込みがあり、隔てた向こうにチェーン店の飲食店があります。私はそちらを背に、横断歩道に向い立っていました。「ぎゃ!」というような、聞いたこともないような自分の声が聞こえて、気づくと倒れていました。意識がはっきりしないので良く覚えていませんが、恐らく、「大丈夫ですか!大丈夫ですか!」と連呼されていたような気がします。どれ位倒れていたかわかりませんが、目を開けると若い男の子がいました。その子が言うに、「すみません、ぶつかってしまいました。前を見てなくて・・・。」とのこと。お互いパニックになっていますが、とりあえず倒れた状態から座って周囲を見渡すことが出来ました。その日はとても分厚いコートを着ていて、倒れた衝撃を吸収し、頭を強打する状態を最小限に抑えてくれたようでした。精一杯状況を把握しようと出てきた言葉は「え?どうしたの?」という変な言葉。あまり頭が回らず、とりあえず家に帰ろうと、連絡先と名前を聞き、別れました。別れてからも良く分からず、とりあえず家族に電話をし、自転車にはねられたであろうこと、今から帰ることを伝え、歩きました。正直、全て後からそうであっただろうというなんとなくの記憶ですが。帰郷しているため、夫は自宅にいます。夫にも連絡し、直ぐ病院へ行くよう言われました。実家の家族に伝え、慌てて病院へ連れていかれました。目だった外傷もなく、脳震盪と、倒れて地面で強打した箇所の打ち身でした。ただあまり意識がはっきりせず、ぼーっとする感じでしたので、安静にすることと、何かおかしいと感じたらすぐ連絡することを言われたようです。これも家族から教えてもらいました。その日のうちに夫が来て、警察へ連絡しました。記憶ははっきりしてませんが、直ぐに自己検証があったと思います。その後、自宅へ戻りました。そして戻った後は本当に昏々と眠り続けました。時々トイレに行くだけで、とにかく眠いのです。夫はろくに話もしない私に苛立ちを持っていました。事故を起こした相手に酷く怒っていたようです。翌日、夫が相手方へ連絡入れ、示談の話を申し入れ、会うことになったようです。相手は学生で保険も入っていませんでした。会ったのは学生の父親だったようです。示談の話は決裂しました。相手が、自転車事故を軽いものという見解で話をしていたようで、示談金、その他諸々の条件を飲み込みませんでした。あとから聞くと。特に外傷や酷い怪我もなく済んだのだから、10万円の請求だけで丸くおさめようとしたようです。しかし、謝罪の言葉もなく、私を気遣う言葉もなく、まるでこちらがお金を取る詐欺師のように言われたといいます。そこで、弁護士に相談することになりました。そこからは、弁護士に一任し、私たちは経過を報告されることとなりました。結局、打ち身の痛み軽減の通院に加え、頭が痛いことやすっきりしないことから家事もできない状況で、慰謝料と家事ができないことの対価を請求することになりました。これは弁護士が、相手の謝罪ない態度に悪意を感じると薦めてくださったことでした。それから長い時間がたち、恐らく半年以上かかったのでないかと思います。結果としてほぼ100対0で相手が悪いということで事故は扱われ、弁護士の話で進み、80万程の支払いが命じられました。近年、自転車事故に注目が集まり、それなりの危険通知や保険も充実し、自転車事故の衝撃の大きさと、危険度、死亡に繋がりやすい事故が多いことなど認知されてきましたが、その当時はそういった感覚が浸透しておらず、また自動車と同じであるという認識もなく、軽く扱われていたと感じます。勿論被害者の生死に関わること、また後遺症問題にも繋がることは当然ですが、加害者もまた辛い生活を過ごすことになるということも忘れてはならないと思います。あの頃学生だった男の子のその後は、きっと大きく変わったことだと思うのです。これは私が大した怪我もなく、今生きているから言えることであり、もしあの時分厚いコートを着ていなければ、3mも飛ばされた衝撃で後頭部や側頭部を強打し、意識不明の重体であってもおかしくなかったと。全ては運が良かったとしかいえませんが、自転車がどれ程危険であるか、今一度考えることも大事だと思います。